かがり火の会訪問

2007年6月29日 (金) 13:00
祖師谷地区会館


「かがり火の会」の活動が終了することを朝日新聞の新聞記事で見たわたしは
記事を書いた記者を通して会員の松本さんを紹介してもらった。
そして、松本さんから会員への声かけにより、当時のお話を伺える機会を作っていただいた。
突然の連絡にも関わらず会員の方々にはたくさん集まっていただき、本当に感謝に堪えなかった。

当日の座席図


仁木先生は褒め上手のせ上手

仁木先生以外の会員たちは、文章を書いたことなどほとんどない云わば素人集団だった。
そんな会員たちの不安に仁木先生はコロコロとした高い声でとにかく褒める、励ます。
「やってみなさいよ」「あなたならできる」「大丈夫よ」
そんな言葉を励みに会員たちは慣れない編集作業を行い一冊の記録文集ができた。
さらに励まされた会員の椎塚さんは書きたかった自分史の本を自費出版するに至った。


会誌「かがり火」
1986年の不安

1986年秋の集まりの時に先生がふと会員たちにこう伝えた。
「(編集作業が)間に合わないから、なんとか(記録文集の出版は)春には実施してほしい」
会員たちは普段の先生にはあまり見られなかった「焦り」を感じ、不安になったという。
自身の体の具合に異変を感じた先生が、ある気構えを見せ始めたようだった。
またこの時期に夫を亡くされた何人か会員の方にも「死に対する覚悟」を話されている。
先生はこの年の11月に他界された。


かがり火の会の旗
先生の死後

先生が亡くなってから、会員たちはそれまで教わってきたことの全てを使い
会員たちだけで新たな記録文集を出版した。
それは先生への追悼と、会の思い出話、新たな記録文がつづられている。

そして 「かがり火の会」の旗は千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に参納し
会は会員たちの高齢化などを理由に2007年3月末で活動を停止した。

しかし会員たちの心の中にはまだ先生が生きており、平和を願うかがり火がまだ燃え続けている。
今回エピソードを語ってくれた会員たちの生き生きとした瞳を見てそう思った。


仁木先生への最後の手紙
※この時に会誌「かがり火47号」「仁木先生への最後の手紙」「妹たちのかがり火・第4集」
椎塚光子「時の形見に」小野さん手作りの印伝など色々いただきました。
ありがとうございました。